初めまして☆KAORIです^^

 

ヒーリング、というと、あまりなじみのない感じもあり、

怪しい??宗教??と、ちょっと、アヤシイ?と思う方もおられると思います。

安心してください!(笑)わたしもはじめはそうも思いました。

そんなわたしが、なぜ、ヒーラーになることになったのか、

わたし自身の生い立ち、経験をあわせて、書かせていただきたいと思います。

ヒーリングが、特別なものではない、誰もが、気軽に受けることができて、本当に素晴らしいものなのだということが、多くの方に伝わればなぁ、と思っています☆

 

まずは、わたしがヒーリングに出会った時のことを。

 

あれは、2010年の夏でした。(回想シーンっぽいw)

その頃、わたしは地元の公立病院で、医療従事者として働いていました。公務員です。

休日、夜間も日当直をし、昼間のメインの仕事は、顕微鏡でひたすら細胞を見る、というものでした。

子供が2人いますが、2人目の育児休暇を終え、2人を保育園に預けながら、自宅↔病院↔保育園のローテーションといった日々。。。楽しみは、毎日のビールで、完全キッチンドリンカーでした。

もう一つの楽しみは、マッサージやエステに行くこと。顕微鏡のせいもありましたが、昔から極度の肩こりで、頭痛薬を飲まない日はないほどでした。

ある時、地元の情報誌を見ていると、すごく近所にアロマのサロンがオープンしたという記事を見つけました。早速、当直明けに予約し、行ってみることに。

コースは忘れましたが、60分くらいの全身コースにし、セラピストさんが足湯を準備しに行ってくださった間の事。壁に貼ってある、一枚の紙が目に入りました。

 

『奇跡のヒーリング エンソフィックレイヒーリング 3回 ¥35,000』

 

ヒーリング?35,000円?

高いですよねー^^;しかし、その時のわたしは、どうしてもそれから目が離せませんでした。

お待たせしました、と、足湯を持ってきてくださったセラピストさんに、

「すみません、今からメニュー変えてもいいですか?」

と、迷いなく、その奇跡のヒーリングを受けることにしました。

セラピストさんが、びっくりしていたことを覚えています^^

 

それからは、いろんな変化がありました。

いろんなことが、我慢できなくもなりました。

我慢できなくなって初めて、わたしは、我慢していたんだ、ということに気づきました。

今なら、不調は「何か違うよ?」のメッセージだとわかりますが、

その頃は、体からの声を聴くこともせず、仕事は辛くて当たり前、誰もが辛い症状を薬で抑えて働く、ということを、本気で信じていました。

お金は、苦労しないと稼げない、苦労してる人がすごい、やりたいことで食べていけるなんて、ほんの一握りの人だけ。。。

ヒーリングを受ける毎に、そんな固定概念が音を立てて崩れました。

そして、ただ、人から話を聞くだけでは変えられない考え方、「言ってることはわかるんだけど、でもねぇ・・・」ということが、ヒーリングの場合は、自分でも気づかないうちに、受け入れられていくんだ、ということもわかりました。

 

しばらくの間、自分の内側と向き合うことが続き、その手助けを、いろんなヒーリングがしてくれました。直傳靈氣も知り、習得し(この話は別で詳しく☆)、DNAアクティベーション、アデプトと出会い、そして、いつしか、自分がここまで変わったことから、常識や刷り込みによって作られた思い込みが全てではなく、変わろうと思えたときに誰もが変われるということ、それをお手伝いしていきたい、と、強く思うようになりました。

結婚して子供もいて、住宅ローンは35年。今までのわたしなら、どう考えても公務員をやめるという選択肢は考えられませんでしたが、どうしても、続けるという選択をできなくなりました。

頭痛を抱えながら、子供が風邪をひくたびに頭を抱え、休むたびに頭を下げ、思い通りにいかない子供に手をあげることもある、そんな生活。みんながしているから、家のため、子育て資金のために我慢して働きながら、お酒や買い物でストレス発散という生活が幸せとは、どうしても思えなくなりました。

当然、辞めるという選択には、夫も両親も大反対。それでも、心に従って進めたのは、強さを持てたのは、ヒーリングの後押し、ヒーラーさんからのエンパワーがあったからでした。

そして今度は、自分らしく生きたいと思う方々のエンパワーができれば、と、ヒーラーの道を進むことに決めました。